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カープと趣味の日記

「奥州安達原」(歌舞伎観劇記)

 

 201711月某日

歌舞伎座 吉例顔見世興行「奥州安達原-環宮明御殿の場-

 

すっかり秋が深まりつつある11月に久方ぶりに歌舞伎座に行って来ました。

 

この日は天気も良かったので、有楽町駅から晴海通りを歩いて歌舞伎座へ。

と、ふと気づきます。

「なんかやたら警官とすれ違わないか?」と。

それもその筈、この日は某国大統領の来日期間中。

特に悪い事をしている訳でもなくましてや「友達の友達がテロリスト」なんて訳でもないのですが、何となく落ち着かない気分で歌舞伎座へたどり着きます。

 

到着した時は1幕目の「鯉つかみ」の幕見販売開始の少し前。

1幕目幕見の列が捌けてから2幕目の幕見販売時間まで待ちます。

長椅子に座ってぼんやりと晴海通りの喧騒を眺めていると、ふと知らない老婆が話かけてきました。

はて?

平日昼間から歌舞伎座幕見の列に並んでる30男がそんなに珍しいのでしょうか?

しかし、話に応じようとすると、係員が割って入って来たので老婆は向こうへ行ってしまいました。

鳩が豆鉄砲をくらったかのようにキョトンとしている私。

そこに係員が説明するには、たまにあんな風に幕見の席の人に話しかけてチケット譲渡を申し出てくる人がいるそうです。

当然ながら、これはいわゆるダフ屋行為ですから係員が制止するのも当然の事。

まあ、恐らくあの老婆は一緒に行く人が来れなくなって困って申し出て来たのかもしれませんけれども。

長い事、歌舞伎座で幕見していますが、こんな経験は初めてでしたね…。

 

ところで本日、観劇したのは「奥州安達原」。

 

今年の観劇は新歌舞伎の「一本刀土俵入」のみでしたので、かなり久しぶりの丸本物となります。

舞台は文字通り前九年の役の頃の奥州。

前九年の役というと丸本物の舞台としては恐らくかなり古い時代に入るかと思います。

もっとも、「妹背山婦女庭訓」のように蘇我入鹿などが登場する時代を舞台にしながら普通に江戸時代の風俗が登場するのが歌舞伎の「世界」ですからあんまり気にする必要もないでしょうが。

物語のあらすじは省略…というか非常に説明するのが難しい内容です。

というのも、この演目自体が本来のあらすじをかなりカットしたものですので前後の幕を見ないと、話の筋を理解しにくいのです…。

この舞台でのメインの登場人物は演目の別名(「萩袖祭文」)にある通り子連れの瞽女である萩袖(中村雀右衛門)です。

見せ場は舞台上で実際に役者が三味線を演奏するという趣向は珍しいかと思います。

もっとも、この萩袖自体は父である平傔仗直方(中村歌六)と母親である浜夕(中村東蔵)にこれまでの不孝を詫びて泣き、追い返されて途方にくれて泣き、義弟である安倍宗任(中村又五郎)父親殺害を教唆されて泣き…とわりと泣いている場面が多い印象。

それでいて、話がなかなか進まないので現代の映画やアニメに慣れた人にはちょっともどかしいかもしれません。

実際、私の周囲に座っていたのは外国から来られたと観光客と思しき人たちだったのですが、明らかに頭に「?」が浮かんでいるかのようでした。

もっとも、初見で意味はよく分からなくとも義太夫節の哀切溢れるメロディーと、人形浄瑠璃を移殖した名残と言えるその振り付けの妙は現代劇とは異なるプロットの構造を補って余りある丸本物の魅力かと思います。

 

この前の段に起こった(と思われる)環宮失踪の責任を取り直方が、親と夫の板挟みあって萩袖がそれぞれ切腹した直後に、袖萩の夫である安部貞任(中村吉右衛門)が登場。

「思われる」というのが、この演目の前段の説明が一切ないのである程度予想するしかないのです。

というよりこの演目に環宮なる人物自体がそもそも登場しませんし…。

 

その安部貞任が正体を八幡太郎義家(中村錦之助)に見破られて、「ぶっ返り」を見せるのですが、「ぶっ返り」と言えば同じく中村吉右衛門家のお家芸である「一条大蔵譚」が思い浮かびます。

阿呆を装って賢明な貴人に立ち返るのが「一条大蔵譚」なら貴人を装って荒々しい俘囚の長に立ち返るのがこの演目。

同じ家の芸でもその対比は大変興味深いものです。

 

ただ、私が一番印象に残ったのは結果的には自身の計略の犠牲となった妻である萩袖と、娘であるお君(子役の人なので名前忘れました…)を前に家族への憐憫の情を見せる安部貞任の描写。

既に姿は「ぶっ返り」の後の八幡太郎義家に戦いを挑まんとする荒々しい姿。

父である安倍頼時の仇を討つために家族をも犠牲にする非常な武人が見せる情は胸を打ちます。

安部貞任にそうさせたのは辺境の武人としてのある種の単純さなのか、本来は押し隠している情の深さなのか…。

人によっては解釈が分かれるかもしれません。

まあ、芸談とか詳しく読んでないから本来どういうものかは私が知らないというのもありますが…。

ただ、その「腹」を匂わせるぐらいに留めて決して前面に押し出す訳には行かないのも歌舞伎の奥深さでもあり、現代劇とは異なる難しさなのでしょう。

そう考えると、松竹のHPの説明にある通り安部貞任の「豪快な演技」は確かに魅力ではありますが、全体的に殺伐としたストーリーの中で時折、顔を見せる登場人物の情の機微が私にはより魅力的に感じました。

 

また、上記で何度か書いた以外にも話の筋が分かりにくく唐突な部分が結構あるので、前後の話にも興味が湧いてはきます。

まあ、この辺りがみどり狂言の魅力であり限界なのでしょうか。

そもそもこの話だけだと安部宗任はけっこう酷いキャラクターですし…。