これまでロングランを続けていたアニメ映画「この世界の片隅に」が今日で初公開から遂に1周年を迎えました。
その間に2016年のヨコハマ国際映画祭を皮切りに国内外で多くの賞を受賞し、称賛を受けた経緯は今更私が言うまでもないでしょう。
改めてこのような素晴らしい作品に雀の涙程度のクラウドファンディングという形で制作までの経緯を見せて頂けたうえにエンドロールにまで名前を載せて頂けたのは生涯の誇りに思う次第です。
この作品の原作を私が読んだのは確か2010年。
改修工事が始まる前の広島駅新幹線口の本屋で上中下3冊を購入して新幹線で読みました。
既に前作の「夕凪の街 桜の国」でこれまで学校の図書館に置いてあった「はだしのゲン」や、「ちょっと怖い絵本たち」でのイメージが広島生まれの私には強かった「ヒロシマ」を違う切り口で描いていた作者のこうの史代先生の事は知っていました。
正直、ミリタリー的な事は好きではありながら戦時下の呉はさほど知らなかった私には「夕凪の街 桜の国」と同じ、むしろそれ以上に強い印象が残りました。
そして「いつかアニメにでもなればなあ…。」なんて考えたのを覚えています。
ですから、この映画のクラウドファンディング募集の話を聞いた時は即座に応募しました。
とはいえ、素直に言わせて貰えればクラウドファンディングに参加した当初は「この内容の映画が受け入れられるのだろうか」もしくは「今の日本の映画会社で配給してくれる会社はあるのか?」という疑問はありました。
確かに、荻窪での制作支援者ミーティングで見たパイロットフィルムだと、戦艦大和など原作にはないメカニックな部分も取り入れてはいましたが、あくまで主役は「北條すず」を始めとする戦時下の広島・呉という軍事都市で暮らす人々の生活や思い。
普遍的ではありながら、華々しいとも言い難くある種の高尚さが付きまとうテーマではあります。
ですので参加当初は正直、戦後70年以上も経った今の日本だととりあえず上映出来れば御の字…だとすら思っていました。
また、その後のキャストの発表でのんさんの名前を見た時も少々不安には感じました。
というのも大変失礼ながら、俳優さんや声優さんをあまり知らない私には、のんさんには一時期事務所と揉めていた事がメディアにさかんに取り上げられていた女優さんというイメージしかなかったので「女優さんの話題ばかり先行して作品の内容が顧みられなくなるのでは?」と思えたからです。
しかし、これらの私のあまりにバカげた不安は全て杞憂に終わり、公開に漕ぎつけた作品は大ヒットで配給会社であるテアトルの興行記録を塗り替えましたし、のんさん演ずる「すず」は、もはやこの人以外では考えられないぐらいのハマリ役となりました。
また、この作品によって呉という東洋一の軍港であった都市と、そこでかつて起きた出来事も世間に知れ渡る事となりました。
以外に思われるかもしれませんが、上にもちょっと書きましたが実は広島県出身者でも広島に原爆が投下された事は知っていても、戦時中の呉市の事についてはあまり知らない人が多いのです。
確か、重松清の「赤ヘル1975」という作品でも広島にばかりがクローズアップされて、呉や松山などの周辺で起きた悲劇を軽視しているように見える平和学習に反発する少女が描かれていましたが…実際私が小中学生の頃もそんな感じでした。
ですので、何だか後ろめたい気持ちもそこにはありました。
確かに、原子爆弾と言う人類史上最悪の汚点とも言える兵器が使用されたという事実や、その後の核拡散が進んだ世界の流れから考えからヒロシマ・ナガサキや重要な出来事です。
しかし、被害の過多に関係なく広島以外でも戦時下で起こっていた出来事が改めて分かる機会が多くの人に訪れた作品に出会えた事で、広島生まれで被爆3世の私としては何となくあった後ろめたさに似た感情が取れたような気はします。
勿論、この作品が内包する事象はたんなる私の郷土という場所だけで終わるに留まりません。
この映画に大きく流れるのは、戦時下という特殊でしかし誰にでも起こり得る環境の中で、仕事に行き、家事をこなして明日のご飯を心配するという日常のある種の強さと、それすらも飲み込んでしまう戦争の惨禍の圧倒的な強大さという普遍性かと思います。
それは、呉や広島や日本中の津々浦々に限らず、ドイツでもイタリアでもイギリスでも中国でも朝鮮半島でも起こっていた事であり、場所によってはどこかで今も起こっている事です。
つまり、戦時下の呉の片隅から見えた普遍性は、世界のどこかまさに「この世界の片隅」でも見えるという事。
それがあったからこそ、戦争と言う政治的な観点が問われる事を避けられないテーマを取り上げているにも関わらず左右問わず多くの日本人や海外でもこの作品が支持された理由かと思います。
公開から1周年。
現在、日本に限らず世界では戦争と平和に関して多くの議論や対立があります。
そして、それらを解決する手段や論理は硬軟踏まえて一つではありません。
しかし、その選択を一歩間違えたしまった場合の世界になった時を想像し、どこかで妥協してそれを避ける道を探るうえでも是非引き続き日本中、世界中の人に「この世界の片隅に」を見て頂きたいと願わずにはいられません。