吹けよ風!打てよアレン!!

カープと趣味の日記

10/4 ●「明日のカープ担うは」(カープ2018)

広島東洋カープ4-0読売ジャイアンツ

25回戦(カープ17勝7敗1分)

広島市民球場(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)

 

勝利投手 菅野15勝8敗

敗戦投手 野村7勝6敗

 

本塁打

(G)阿部11号①長野13号①

 

先発野村は6回2失点も、今村が崩れる。

打線は菅野の前に完全に沈黙し無得点。

攻守ともに奮わず惨敗を喫し今季最後の読売戦を終える。

この試合が引退試合の天谷はキャッチャーゴロで現役最後の打席を終える。

---------------------------------------------------

今日は、今シーズン限りの引退を発表していた天谷宗一郎引退試合となりました。

1番センターでスタメン出場しましたが、1イニングで交代。

出来れば最終回まで出場して欲しかったですが、さすがに今の状況だと難しいようです。

 

球場もユニフォームも一新された一方で、新井貴浩黒田博樹がチームからいなくなるなど暗中模索だった時代のカープ

その中で赤松真人と共に主力として期待されたのが天谷という選手でした。

 

ここで男上げろ

打つぞバット響かせて

明日のカープ担うは

天谷宗一郎

 

ドラフト9位入団の選手としては過大にも聞こえた応援歌の歌詞。

しかし、それだけ彼にはファンから大きな期待を集めるだけの魅力と夢が詰まっていたという事なのでしょう。

目が覚めるような素晴らしい好プレーや巧打から、考えられないような酷いエラー。

「男性のファンにはほとんど挨拶すらしない」と形容された微妙極まりないファン対応など…個人的にも彼には思い出は尽きません。

個人的に一番の良き思い出は2010年のスワローズ戦での必死の走塁とヘッドスライディングからもぎ取ったサヨナラ安打でしょうか。

あれが私にとってはマツダスタジアムで見た最初のサヨナラ勝利というだけでなく、決して才能や華麗さが溢れた選手とは言い難かった彼の魅力が詰まった一打だったと思えます。

 

他にも、2011年の東日本大震災に伴う電力不足の影響で照明を一部落としていた東京ドームで「ボールが見えない」という訳の分からない理由で落球した時は、あまりの酷さに我を忘れて周囲の読売ファンすらドン引きするほど彼に向かって怒鳴り散らしたのも今となっては懐かしいような気もしますし、しない気もします。

 

何より、ユニフォームが一新された2008年シーズンに私が最初に購入したホームユニフォームは49番でした。

あのユニフォームを着てマツダスタジアム柿落としの試合を見に行った時の高揚感は今でも昨日の事のように覚えています。

あの頃は3連覇なんて想像すら出来なかったような時代でした。

残念ながら25年ぶりの優勝の前日に登録抹消された事実が示す通り、彼以上に素晴らしい選手が揃った為に自身が期待されなくなった事こそカープが強くなった証といえるかもしれません。

しかし、それでも過大とも言える期待を浴び続けながら、17年に渡ってカープ一筋を貫いたうえで一時的であれ輝いた頃の記憶は色褪せるものではありません。

 

と、ここまで褒めているのか、けなしてるのか分からない微妙な内容が多く、引退する選手になんて酷い事を書いているのかと自分でも思ってしまいます。

しかし、悪いところを主に思い出してしまうのは、やはり私もまた彼に大きな期待と夢を抱いていたからに他ありません。

結局、私のようなペシミズムの塊のようなファンから期待されるとそうなってしまうのです。

…という事で許して欲しいと思います。

 

それはともかく、この11年間色んな場所に連れ回した49番のユニフォーム共々素晴らしい思い出に感謝です。

 

f:id:Allen1991_09:20181004225537j:plain