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カープと趣味の日記

『絵本太功記』(歌舞伎観劇記)

1月某日

歌舞伎座 壽初春歌舞伎

『絵本太功記-尼崎閑居の場-』

 

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すっかり年末年始の気分も消えた1月末に今年最初の歌舞伎座

今回は夜の部の最初の幕なので幕見席のチケット販売から、開場までたっぷり1時間30分もある。

さすがに長いのでどうしたものかと友人にLINEをしたら返ってきた答えが「築地でも言ってみれば?」。

言った当人は冗談のつもりだったのだろうが、そういえば私は築地には行った事がない。

そう思うと途端にいいアイデアだと思えて、うっかり用もないのに築地市場の跡地に立ち寄ってみた。

そこにあったのは巨大な解体現場と化した市場跡地と取り残されたように佇む場外市場。

土曜日だったこともあり、決して賑わっていないわけではない。

けれども、かつて…というより、つい最近まで世界屈指の人口密集地帯の食を支えた栄華は過去になったようで何とも寂しい気持ちにもなってくる。

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で今回、観劇した話もそういった類の話と無理やりこじつけてみる。

ちなみに「太閤記」ではなく「太功記」。

しかも、主役は豊臣秀吉ではなく、その秀吉にあえなく討たれた明智光秀

「梶原平三」といい「時平の七笑い」といい、巷間では敵役になる人物を掘り下げて主役に据えるという手法を江戸時代の歌舞伎の作者たちが考えていた事には驚かされる。

もっとも、両者とも徳川家が支配した江戸時代では芝居の主人公にするのを憚られて名前は変名だけれども…。

 

築地の栄光の歴史は80年以上の長きに渡ったが、光秀が織田信長を討ち秀吉相手に敗死するまではたったの13日。

この舞台は、その光秀が最後を迎えるまでの13日間を1日1段の要領で描いたものだが、今となっては今回見る十段目以外はほとんど上演されないという。

 

中村吉右衛門丈演じる武智光秀の隈取は助六や鎌倉権五郎などとは違う青色がかった物。

主役であるにも関わらずどちらかといえば、清原武衡などの「国崩し」を彷彿させるのは謀反を起こして天下を取ろうとした彼の行為への暗喩か。

物語は無道を極めた小田春永(織田信長)を討ったものの、その行為を家族から非難された末に誤って母親を殺害してしまい、初陣を飾った息子・十次郎にも死なれてしまう光秀の悲劇を描くというもの。

特に絶望的な戦いに挑む十次郎と、十次郎を思いながらも健気に尽くす許嫁・初菊の悲恋は、義太夫節の哀切を伝えるかのような音色もあって切なくなってくる。

戦後直後にこの舞台を見て出征した若者を思い出して涙する観客が多かったというが、確かにわかる気もする。

最後は勇壮な絵面見得で幕となるものの、光秀の破滅が刻一刻と迫る予感が漂うある少々重たい雰囲気の舞台だったかと思う。

 

ところでこの光秀。

本能寺の変を引き起こした理由は未だに不明で様々な説が存在する。

陰謀論の類に至ってはそれこそ百花繚乱の如く存在するのはよく知られるとおりだ。

しかし、ある歴史学者の本を最近、読んだところ学術的な観点で見れば彼が本能寺の変を起こした理由は正直、どうでもいい部類の話なのだそうだ。

つまり、彼が何故このような行為を働いたかという動機よりも重要なのは彼の行動によって天下統一目前だった織田信長の政権が崩壊し権力の空白が生まれたという結果という事。

そうである以上は、歴史という大きな流れのなかではその理由がよく分からないまま謀反を起こした家族の肖像なんてもっとどうでもいい話。

実際に、こういうやり取りが光秀の家族にあった事は勿論、史実ではない。

そもそも天王山で決戦するのに尼崎くんだりまで光秀が来る時点で、明らかにおかしい。

しかし、一方で光秀という人物は一夫多妻が当然だった時代に珍しく側室をもたなかった現代人の感覚で言えば家族思いにも思えるエピソードも存在するのも確か。

そういう人物であるうえに、あれだけ日本を揺るがす事件を引き起こしたにも関わらず、謎が未だに多いというミステリアスさもあってこういう複雑な魅力あるキャラクターとして描かれたのかと思うと、歌舞伎の丸本物は楽しい。

 

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