24回戦(カープ15勝9敗)
勝利投手 ヘルウェグ1勝
敗戦投手 R・マルティネス1勝4敗8セーブ
(C)-
(D)ビシエド18号②
打点
(C)長野②松山①會澤①
(D)福田①ビシエド②
投手
※数字は失点
(C)永川-大瀬良①-菊池保-フランスア②-ヘルウェグ
(D)大野雄③-福-岡田-R・マルティネス①
引退登板の永川の後に登板した大瀬良は6回1/3を1失点。
打線は初回に長野の適時打で先制も以降は8回の2得点のみ。
最終回にフランスアが被弾し追いつかれた延長10回裏に會澤の適時打が飛び出し、球団記録のシーズン12回目のサヨナラ勝ちで連敗を止める。
カープは年間勝率5割以上が確定。
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今日の試合をもって引退する永川勝浩はなんと14年ぶりの先発マウンド。
この報を聞いた時にそもそも永川が先発を務めた事がある事を覚えているファンはどれぐらいいたでしょうか。
そもそも、最近カープを応援し始めたファンだと彼がセーブの球団記録を保持している事すら知らない人も少なくないかも知れません。
積み重ねた165セーブで最後にセーブを上げたのは5年前。
チームがリーグ3連覇を果たし、栄華を極める中で2018年こそは一時的にブルペンを支えたものの、2017年は1軍未登板など、決して輝いたとは言い難かった彼のキャリア中盤以降を考えるとそれも無理からぬ事かと思います。
そう考えると、やはり彼の17年間のプロ野球選手としての歩みを振り返ると、彼がもっとも輝いていたのは新球場移転後よりも、薄暗く鉄と汗の匂いが充満したあの陰鬱な旧市民球場時代での活躍でしょう。
優勝はおろかAクラスすら遠い彼方に消えていたあの「暗闇の時代」
大卒1年目の彼にいきなりクローザーの大役が任されていた時点で当時のカープのブルペンがいかに悲惨でプロ野球チームの体を成していなかったかが伺われるというもの。
そんな中で新人最多の25セーブを挙げるという快挙を見せた彼の姿は当時、内容も結果も散々な試合ばかりを見せられて閑古鳥が鳴くガラガラの外野席でほとんど凍え死にそうになっていた私達にどれだけ勇気を与えてくれた事か。
一方で、彼ほど毀誉褒貶の激しい投手は球団史上でも稀かと思われます。
クローザーとしては壊滅的なWHIPに裏付けられた「永川劇場」という揶揄などその代表格でしょう。
例えば、今では球場の名物となっているピンチの際に投手に贈られる激励の拍手と歓声。
永川がクローザーを努めていた時代では、彼が1球目でボール球を投げただけで場内からため息と野次が飛び交うのが恒例でした。
実際、永川の長いキャリアを球場で眺めていた私も彼の印象に残った登板を上げろと言われると散々な場面をまずは思い浮かべてしまいます。
プロ2年目で先発した試合で5回持たずにノックアウトされた事…。
5点差を追いつかれて土壇場で勝ち越したのにその裏に彼があっさり打たれて逆転サヨナラ負けして怒ったファンがグランドに物を投げ込んで騒ぎになった事…。
500試合登板の試合において大量失点でノックアウトされてベンチに戻る途中で記念の花束を貰ってしまい場内から失笑を買った事…。
こんなろくでも無いことを最初に思い出す訳ですから、自分でも心底意地悪なファンだなと思えます。
しかし、逆に言えば抑えた場面以上に打たれた場面を思い出させるという事は、それだけ「抑えて当然」というプレッシャーを常に受け続けてきた17年間でもあったという事かもしれません。
一方で、2試合連続で逆転サヨナラ負けの喫した直後の登板で見事に1点差を守りきった2007年のドラゴンズ戦や、やはり6点差を大逆転されて敗れた翌日に苦しみながらもセーブを挙げた2009年のタイガース戦とポツポツと良い思い出も蘇ってもきます。
何より彼が凡庸な投手ならば165セーブや500試合以上の登板もあり得ない訳ですから、やはり総合的に見れば素晴らしい投手であったという事に疑いの余地はありません。
先の見えない旧市民球場末期の暗闇の中にあって歓声以上の批判も受けながらも光る星の如く新球場の時代へと繋いだ永川。
それは3連覇という偉業を成し遂げたチームを目にして「勝つことの難しさ」を兎角忘れがちな私達に対する貴重な「証言者」でもあると言えるかもしれません。
そんな彼が引退セレモニーでファンに残したのは「最高のファン」という言葉。
あれだけため息と野次と罵声を浴びせられながら、最後にこういう事が言えるというのはなんと素晴らしい事でしょう。
本当にありがとう。
「県北の星」永川勝浩よ。