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カープと趣味の日記

いくつもの片隅から感謝を込めて(「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」)

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2016年に公開された映画「この世界の片隅に」。

こうの史代先生による素晴らしい原作を片渕須直監督の地道な取材と丁寧な考証により映像化された前作は各方面で絶大な評価と共感を得たばかりか、クラウドファンディングでの製作資金を集めるという経緯は我が国の映画史上においてもエポックメイキングな出来事となったのは記憶に新しいかと思います。

また以前、私の大学の恩師(日本近現代史)にこの作品について尋ねてみましたが、学術的な分野では「国や軍部がどのように法律を制定するなどして戦時体制を構築したかの研究に対して、その受けてである民衆の視点での研究は多くはないのでその点でもこの作品が注目されているのではないか」という趣旨の示唆を頂いた事があります。

つまり、その道のプロの研究者ですら舌を巻くぐらいにアカデミックな視点でもよく練り上げられた作品でもありました。

その素晴らしい前作から3年を経て今回は制作費用の都合で泣く泣くカットした場面を追加して再び映画館に舞い戻って来てくれた形です。

とはいえ、そのカットした場面が原作では主人公である北條すずと並ぶ最重要キャラの一人である白木リンに関わる場面ですから、単なる「完全版」という言葉で片付けられるものではありません。

それは片渕監督の「作品全体に通る『すずと径子』という一本の縦線に『すずとリン』というもう一本の縦線を加えた」という趣旨のコメントにもそれは容易に感じ取る事が出来るでしょう。

 

 

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そういう訳で、非常に大きな期待を胸に仕事を切り上げて「本拠地」とも呼べるテアトル新宿に高揚感を持ったまま駆け込んで見たのが公開初日の12月20日

本当に本当に期待に違わぬ…いや、それ以上に素晴らしい作品でした。

前作が「戦時下という非日常にあっても崩れ難い日常の強さ」の物語だとすれば、今作には「すずと周作」「周作とリン」そして「すずとリン」の関係から垣間見える人と人との情念の物語というもう一つの視点が加わって物語に深みが与えられた形です。

それはまさに「戦時下という非日常での日常」だけの解釈では受け止めきれない「非日常の中の片隅に存在するもう一つの個人的な非日常」。

そこには劇中にある「戦争やってても蝉は鳴く」というセリフではありませんが「戦争をやっていても人は恋もすれば友情も育むし、時には嫉妬もする」という如何なる時代でも変わらない普遍的な考えが刻まれているかのようで、戦中戦後と兎角、時代を分断して考えがちな今を生きる私達に過去の人々との繋がりを前作とは異なるアプローチで改めて感じさせてくれる事でしょう。

私自身、すずと同世代で広島への原爆投下を体験して何とか生還した祖母たちや、呉駅前を行進していた女学生と同世代で原爆投下2日後に亡くなった大叔母も、こんな風に「個人的な非日常」と呼べるような悩みや思いを抱えてあの時を生きていたのかもしれないとふと思いを馳せたものです。

同時に、それらの情念すら吹き飛ばしてしまう戦争というあまりに巨大で凶悪すぎる非日常への恐怖と悲しみが改めて際立ちます。

すずと周作とリンという「三角関係」が表面的にはドロドロとしたものになり難いのはそれぞれ三人が持つ優しさや愛情によるものという事もあるでしょうが、それ以上に「いつ死ぬか分からない」という戦時下を生きている事実も大きく影響しているのもまた確かなのですから…。

 

 

前作が多くの制約がある中で、「上手く話を破綻なくまとめた」という感覚がありましたが、そのようなストレスから解き放たれたも言える本作は原作の魅力を骨の髄まで味わい尽くすばかりではなく新たな印象を残す事にも成功しています。

例えば、物語終盤に追加された知多さんが日傘を差してフラフラと歩く場面。

原作だと3コマ程度しか描かれていない為に見逃されがちな場面に思えますが、ゆったりとした知多さんの動きと日傘と下駄の音がが合わさった映像には原爆症の静かな恐怖が迫ってくるかのような印象を受けました。

それは、その直前のシーンが娼館の焼け跡で、すずがリンとの関係が秘密では亡くなった事を示した幻想的で美しい場面だっただけにまるで冷水をぶっかけられたかのような気分になりました。

こんな所にも「個人的な非日常」に覆いかぶさってくる「強大な非日常」の恐怖と理不尽さを感じられたように思えて、それもまた一見の価値があるかと思えます。

 

 

思えば2015年の7月。

近所のおじいちゃんたちがロビーで将棋に興じている荻窪の小さな公民館のホール…そう、まさに「世界の片隅」と形容するに相応しい場所でパイロットフィルムを拝見させて頂いてから日本はおろか世界の果てまでその名が轟いたこの名作をこれまたその片隅で応援させて頂いてから4年半。

紆余曲折を経て、重厚さを増した形でこの作品が再び世に出た事は大きな喜びでありますし、ほんの片隅といえどもそこでお手伝い出来た事は私の人生で大きな誇りであると改めて思えます。

片渕須直監督、こうの史代先生を始めとした、作品に携わった多くのスタッフの方々や、「北條すずを演じられるのはもはやこの人しかあり得ない」と呼べるほどの素晴らしい演技で作品に命を吹き込んだのんさんを始めとするキャストの皆さん。

そして、私など足元にも及ばない並々ならぬ情熱と愛情でこの作品を世に出そうと宣伝や応援に努めた多くの協力者の皆さんへこの言葉を捧げたいと思います。

 

この世界の片隅にこの作品を与えてくれてありがとう」と。

 

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