新幹線の車窓から見える「ようこそ、ときめく広島へ」の文字。
かつて東京や大阪方面から帰って来た新幹線の乗客を迎え入れたのは府中町にあったキリンビール広島工場の大看板だったのは今や昔…その役割はMAZDAスタジアムのスコアボードが担って久しい。
広島止まりのつもりが間違えて切符を買ってしまった博多行きの新幹線から慌ただしく降りながら考えたのはここに至るまでの日々。
激しい争奪戦を制して手に入れた開幕カードのチケットがコロナ禍によって無駄になったのは2020年4月なのであれから2年。
更に最後に観戦したのは2019年8月に磯村義孝のサヨナラ犠飛で勝利した読売戦以来なので実に3年ぶりの地元での観戦。
ようやく立てた球場の正面玄関を前にして涙が零れそうになって始末に困った…と言いたいところだが、そうはならなかった。
そうするには私が年を取り過ぎたのか、それともあまりにもコロナ禍の異常な日々に慣れ過ぎたからか…。
早く到着したので球場の周りの散策ついでに球団創設70周年を記念した作られた各年度のスタッフ、選手名を刻んだプレートが並ぶメモリアルパークへ。
歴代のプレートを眺めると初優勝を果たした1975年より前は、Aクラスはおろか勝率5割にすら届かないシーズンが大半を占めるのが改めて分かる。
かつて私たちも2016年9月まで25年ほど優勝という言葉を使うのをはばかるぐらいに可能性を見いだせていなかったが…それを上回る年月の間に熱心なカープファンで自身の葬式でもカープの試合のラジオ中継が流れていた私の曽祖父は一体どんな気持ちで試合を見ていたのだろうか…?
苦難の歴史に思いを馳せた後に、入場ゲートに向かう途中のスロープには一転して1975年以降の優勝時の写真が並んでいた。
私が記憶にあるのは1991年優勝以降に過ぎないがそのうち2度の優勝を球場で見られた幸せを改めて嚙みしめる。
3年ぶりの観戦で、球場によってまちまちなペットボトルや飲料の移し替えの有無に戸惑いながら入場すると眼下に広がるのは緑の海。
吹き抜けるそよ風を受けながら打撃練習を続けている相手チームの選手を眺めていると、改めてこの場所に帰れた事を実感する。
1塁側内野A指定の座席についてから場内を散策すると自由席が廃止された影響でコンコースに増えた個室席が目に付いた。
現状、応援活動が制限されている影響でどの球場も外野席の人気が落ちている現状を見るとこういう席が増えるのもまたコロナ禍以降の流れなのだろう。
しかし、3年とはいえ球場全体の雰囲気は以前とほとんど変わらないのには安心した。
動員制限が撤廃された事もあり賑やかなコンコースに、グッズショップ…。
コロナ禍で誰もかれもが大きく生活様式の変更を余儀なくされこれまでの文化や風習すら改められていく事に戸惑っているが…結局、本質的な部分は変わらないのだと思う。
むしろ、キャッシュレス決済が広まったおかげでかえって便利になった事もあるのだから変化は変化で肯定的に受け入れていくべきなのかもしれない。
始まった試合は、大瀬良大地が初回から3失点を喫する苦しい展開。
打線が直後に反撃して同点に追いつくも、以降は得点できずこれまた個人的には3年ぶりとなる延長戦の観戦となった。
試合中、内野席から照明に照らされたグランドで強く印象に残ったのは新人の中村健人。
初回から最後まで外野から声を張り上げて投手を、そしてチームを鼓舞する姿は声を掛けられない私たちの気持ちを代弁しようとしているかのよう。
最後までチームに広島に声をかけ続けた中村健人の全力疾走も虚しく神里和毅の打球が抜けて試合は敗れた。
いまいち分かりにくい整列退場の指示を守って場外に出てから振り返った暗闇に浮かび上がる球場の姿は改めて綺麗だった。
この3年間でプロ野球も私たちも多くのものを変えたり犠牲にしたりしてきたが…こうやって好きなチームの試合を本拠地で見られたのだから、私も彼らもこうやって日々は続けていくのだと思う。
これからも生きていけるのだと思う。
どういう時代になっても「応援したいもの」があるのは素晴らしい事だ。
とはいえ、このカードで私が観戦した試合以外は全て勝利というのは…。
まあ、それもまた広島カープを応援するという事なのだろう。