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カープと趣味の日記

9/27(金)●「不屈の『エリア38』」(カープ2019+赤松引退に寄せて)

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広島東洋カープ1-4中日ドラゴンズ

25回戦(カープ15勝10敗)

MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島

 

勝利投手 小笠原3勝1敗

セーブ投手 岡田3勝2敗13セーブ

敗戦投手 ジョンソン11勝8敗

 

本塁打

(C)-

(D)堂上12号②

 

打点

(C)-

(D)平田①木下拓①堂上②

 

投手

※数字は失点

(C)ジョンソン④-床田-菊池保-フランスア

(D)小笠原①-ロドリゲス-R・マルティネス-福-岡田

 

先発ジョンソンは中盤まで好投も7回に力尽き4失点で降板。

打線は再三の好機に暴投による1得点しか奪えず。

致命的な采配ミスが響いて今季最終戦を落とし自力での3位以上が消滅。

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勝たなければ自力での3位以上の可能性が消滅する大事な試合。

5回裏の無死1塁3塁の好機で打率1割台の石原慶幸クリス・ジョンソンを打席に立たせるという考えられないような采配ミスが全てをぶち壊しました。

これまでの142試合の努力を全てドブに投げ捨てるかのような愚行を犯した緒方孝市以下、チームの首脳陣への怒りは3日経った今でも収まりません。

 

 

こんな酷い試合の後に引退セレモニーを行う事になった赤松真人には正直、同情と申し訳ない気持ちしかありませんでしたが…。

そのスピーチは聞いていて感動しないものはいないと断言できるぐらいに爽やかさと優しさに満ちていて散々な試合をその時だけは忘れさせてくれる見事なものでした。

2005年に地元関西の阪神タイガースに入団したにも関わらず、2007年にはFA移籍した新井貴浩人的補償カープへの移籍。

彼の引退スピーチにもあった「プロ野球はきらびやかな世界だと思っていたけどそうではなかった」という旨の言葉通り、本人が望まない移籍がカープの選手としてのスタートでした。

しかし、FA制度による選手の度重なる移籍の度に絶望的な気持ちに苛まれ制度を呪い移籍した選手を恨む事しか出来なかった我々にとって人的補償でやってきた彼の移籍直後の働きはどれだけ希望を与えた事でしょうか。

プロ初&移籍後初の本塁打に続いて史上初の事例となったプロ入り1号2号が2試合連続先頭打者本塁打という快挙。

2010年シーズンに飛び出しカープファンはおろか、世界中の野球ファンを驚愕させたあのスーパーキャッチをはじめとする「エリア38」と称賛された驚くべき外野守備。

2016年の史上初のコリジョンルールによるサヨナラ安打を放ち、チームが25年ぶりの優勝へのきっかけになる12連勝への貢献。

セレモニーで上映されたこれらの記録以外でも、彼が移籍してきてからの11年で私個人でも思い出はつきません。

上記のプロ初&移籍後初の本塁打を東京ドームの狭い立ち見スペースで他のカープファンと押し合いへしあい観戦していた時に目撃出来た事は今でも忘れがたい思い出です。

2010年は赤松とダルビッシュ有の大ファンだった母にチケットをプレゼントして観戦しに行って貰った試合でダルビッシュ前田健太のお互い無失点での投げ合いに決着をつけるというあまりに出来すぎな母への最高のプレゼントとなった彼のサヨナラ打の方が上記のスーパーキャッチよりも個人的には印象に残っています。

また、2016年に幸運にもカープの25年ぶりの優勝の瞬間を東京ドームの3階席から見届ける機会がありましたが、最終回に自身を結果的には阪神から「追い出した原因」であった新井と共に守備につく彼の姿は本当に本当に感動的でした。

上記のようにFAという制度を呪い選手を恨む事しか出来なかった我々にとってあれがどれだけ象徴的な光景だったか!!

 

そんな喜びを見せてくれた2016年シーズンのオフに彼が病に冒されたと聞いた時には衝撃的でした。

確か、その日はファッションブランドのサマンサタバサとカープのコラボ店舗が何故か都内の表参道にオープンしたと聞いて冷やかしに行った帰りでしたがあまりの事態に呆然として全て吹き飛んでしまいました。

その後は、知られている通り、プロ野球選手としては前代未聞の胃の摘出手術に転移を経ての辛く長い抗がん剤治療。

2017年の2連覇時に甲子園に姿を見せた彼の痩せた体を見た時は優勝の喜びの一方でショックでもありました。

治療を経てからは2018年に2軍戦への復帰しましたが胃を摘出し、小学生程度の栄養摂取しか出来ない体でプロ野球選手として耐えられる肉体を維持するのは治療と同じぐらいに辛い事だったかと思います。

最大の目標であった1軍復帰が自身の引退試合となったのは本人と同じく私も残念ではあります。

しかし、最終的には背広姿ではなくユニフォーム姿でグランドに立ち、ファンに最後のプレーを見せてくれただけでも彼の不屈の闘志とあきらめない気持ちを見る事は出来ました。

 

上記の通り、ドラフト6位からFAでの人的補償での移籍、その後のスタメンを決して確約された訳ではないチームの起用方針に闘病生活と、彼の現役生活は決して華やかさに満ちたものではありませんでした。

しかし、それでも最後は「応援は力になる」とファンや周囲の人間に感謝を伝え、自身以上に病に苦しむ人達を激励する言葉を爽やかな笑顔と共に残せたその姿は尊敬に値するものなのは言うまでもありません。

同学年のカープファンとして彼を応援出来た事を私は誇りにしたいと思います。

 

今だ見せろ

果敢な姿を赤い星を捉え

そこで君が輝け

 

不屈のエリア38

赤松真人

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