優勝の余韻も冷めやらぬ今日、こんなニュースが入ってきました。
梵 英心選手退団のお知らせ
梵英心選手と次年度契約について話し合いを行い、本人の「金額にかかわらず、出場機会を求め他球団をあたってみたい」という意思を尊重し、自由契約という形をとり、退団することになりましたのでお知らせします。
野手としては小早川毅彦以来の新人王も今や37歳。
そして、チームが連覇を達成したこの2年間で放った安打は「0」
そういう、彼が置かれている状況を考えるとこの結果は申し訳ありませんが、意外ではありませんでした。
しかし、彼が一番輝いた時期を思い浮かべると、やはり寂しい気持ちにはなります。
思えば2005年。
彼が主に守ったショートのポジションで言えば、野村謙二郎は引退し、希望の星であった筈の尾形佳範は選手生命を左右する大けがで離脱し、東出輝裕や木村拓哉は低迷。
センターラインに大きな穴が空き、チームも最下位に転落するというシーズンでした。
そんな年にドラフトで入団した県北出身の珍しい名前の内野手。
守備力、走力、パンチ力と兼ね備えたその姿はまさに野村謙二郎の再来のようで、背番号「32」のユニフォームを着るファンを市民球場で見る事がどんどん増えていった事を今でも覚えています。
同じく、県北出身の永川勝浩と同様に新人時代はまさに救世主でした。
素直に言わせて貰えれば、私自身が見に行った試合でほぼ必ず試合に出ていた選手であるにも関わらず、不思議な事に梵に関して印象に残る場面はパッと思い浮かびません。
というのも、その大部分で攻守共にそつのないプレーを見せていて他の選手の活躍に紛れ込んでしまい、だからこそエラーなど悪い印象が目立ちがちだったからでしょう。
逆にそれを10年近くも続けていた事こそがこの選手の素晴らしいところなのかと思ってしまいます。
これは、彼と同い年でペアを組んでいたい東出輝裕にも同じ事が言えますが…。
とはいえ、そんな彼もゴールデングラブ賞と盗塁王に輝いた2010年などを除けば低迷した時期も多かったのも確かです。
当時は今より遥かに選手層が薄いチームにあって、彼のような何でも出来そうな選手には、守備の要として、チャンスメーカーとして、はてはクラッチヒッターとしてと、様々な役割を求めざるを得ないという状況も多少なりともあったかと思います。
あくまで私の推論ですがそんな現実が、彼にとって悲劇だったのかもしれません。
しかし、旧市民球場と新市民球場という二つの球場を股に掛けて、チームの守備とど真ん中を守り続けた彼の姿はやはりかけがえのない思い出です。
チームを救うかのように思えた選手との出会いと、チームの過渡期という難しい現実。
彼が股に掛けたのは球場だけでなく、そういう少し切ない部分もありましたが、それも今となってはまた良き思い出。
退団以降、彼がどのような道を選ぶかは未定です。
しかし、出来ればあと10本と迫ったプロ通算1000本安打を新天地で放って欲しいと願わずにはいられません。
決めろ!足とパワーで!!
打てよ英心!!!!!
と。