「心中天網島」
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コロナ禍もあって劇場での古典芸能観劇からしばらく離れていた間に今年10月での国立劇場の閉鎖と建て替えが決まったと今更ながら知り、少し慌ててしまいました。
私にとって国立劇場といえばこれまた建て替え前の歌舞伎座と共に上京して間もない私
に歌舞伎鑑賞の面白さを教えてくれた思い出の場所。
閉鎖前に行けるだけ行こうと思って何か適当な公演はないかと探して見つけたのがこの公演。
近松門左衛門と言いますと江戸・元禄文化を代表する人物として教科書にも載っていますから知らない人はそれほど多くはないでしょう。
また、その作品の中でも「心中天網島」と言えばこれまた教科書に載っている程の有名な演目と言って良いかと思います。
私自身文楽自体は1度しか鑑賞した事がなく、そもそも基本的な知識すらありませんが、「心中天網島」の中の「河庄」は何度か歌舞伎で見た馴染みのある演目。
更にいえば、近松作品自体は個々の場面のクオリティの高さもあって歌舞伎では通しで上演される事がさほど多くないうえに歌舞伎では省略される場面も上演されます。
単純に比較は出来ませんが、そういう訳ですから人形浄瑠璃から歌舞伎化された作品の脚本を楽しむ場合は、文楽の方が良いような気もします。
「心中天網島」は3時間以上もある長い通しでの上演ではありましたが、その長さの割に退屈さを感じなかったのは近松門左衛門の脚本の巧みさかだと実感します。
同じ近松の心中物といえば「曾根崎心中」がありますが、そのヒロインであるお初がとにかく情熱溢れる女性であるのに対して「心中天網島」のヒロインである小春は主人公である治兵衛とその家族を守る為に一時は悲しい嘘までついて一人で死ぬ事を選ぶなど単純に「惚れた男と死ぬ事を願う女」という説明では語り尽くせない複雑さを持っています。
また、治兵衛と小春と取り巻く人物たちも「曾根崎心中」よりも厚みがある事も魅力です。
特に治兵衛の妻であるおさんは、小春への嫉妬の念を持ちながらも上記の通り治兵衛の為に一人で死ぬ覚悟を決めた小春の命を救う為に金を工面しようとするなど彼女一人で小説の主人公になれそうなぐらいの大変複雑なキャラクターと思えました。
このおさんに加えてやはり弟である治兵衛の為に侍のコスプレまでして奮闘する粉屋孫右衛門や、治兵衛とおさんに離縁を迫る夫を何とかなだめようとするおさんの母といった人々の善意が一度は心中を決意した二人を救おうとしながらも、最終的には全て水泡に帰してしましまうからこそ最後に迎える心中の悲劇性がより高まります。
一方で、妻子がある身にも関わらず遊女に入れあげた挙句破滅へ向かう治兵衛という人物の行動は現代においては勿論、近松が生きた時代ですら褒められたものではないですし、治兵衛とおさんを無理矢理離縁させた五左衛門の感覚は極めて常識的かと思います。
ですが、そんな「イケメンだけど基本クズ」な治兵衛だからこそ自身を中心に展開される周囲からの善意や義理や情念を印象的にしてくれるのでしょう。
それこそまさに「網」に雁字搦めになったかのように…。
周囲の善意も悪意も彼らに対する義理も全て投げ捨てる形となって心中する治兵衛と小春の最後の場面で終わり幕が下ろされる直前。
出語り床に並ぶ太夫たちが近松門左衛門に敬意を表して床本を押し頂く様を見て思わず私も深々と頭を下げてしまいました。
そうしてしまうぐらいに江戸時代の人間が作ったとは思えないぐらいにこの演目の脚本の人物描写と展開の緻密さは私には驚嘆すべきものだったのです。