シーズンが終了して2週間ほど経ち、新外国人の獲得、来季首脳陣の発表、鈴木誠也のポスティングシステムによるメジャー移籍表明と様々なニュースが飛び交う中で本日、カープOBである古葉竹識氏の訃報がもたらされました。
現役時代は1960年代のカープを代表する名内野手であると共に指導者としては1975年の初優勝を皮切りに4度の優勝に3度の日本一にチームを導いた名将である古葉氏の功績はカープファンを名乗る者なら知らない人はまずいないでしょう。
とはいえ、私が物心ついてカープを応援し始めていた時期には既に氏はカープを退団した後でしたし、恥ずかしながらその存在を知ったのは当時コロコロコミックで連載していた「かっとばせキヨハラくん」で大洋ホエールズの監督として登場した事からでした。
ましてや現役時代の活躍に至っては私の両親ですらあまり知らない時代の話です。
なので、若いファンやカープを最近応援し始めてくれた方に偉そうな事を言える資格はないのですが…その功績はあまりにも輝かしくファンにとっては必修科目とも呼ぶべきもの。
済々黌高校、専修大学を経て濃人渉、白石勝巳という広島を代表する野球人たちの薫陶を経て同期入団の長嶋茂雄と首位打者を争った現役時代。
南海ホークスで野村克也を支えた後、森永勝也に請われてカープに復帰したコーチ時代。
そして、選手たちに多大な影響を与えながらも、シーズン開幕直後に電撃退団したジョー・ルーツの後を受けて若干39歳にしてチームに創設26年目での初優勝をもたらした1975年以降の監督としての栄光は歴史的偉業として特筆すべきもの。
今もなお強い時代のカープの象徴として良くも悪くも多用される「投手王国」「機動力野球」は全て彼の監督時代にその原型はもたらされた物ですし、球団の歴史自体も「古葉以前」と「古葉以降」で大きく異なるとすら言えます。
山本浩二、衣笠祥雄を筆頭に外木場義郎、北別府学、三村敏之、水谷実雄などの好投手、名野手は勿論、高橋慶彦、江夏豊、達川光男などのあまりに個性的過ぎる選手たちまで指導したその手腕はカープファンのみならず多くの野球ファンを魅了してくれました。
その栄光はこれからも多くのファンに語り継がれる事は間違いないでしょう。
最近の消息はあまり聞いておりませんでしたが、個人的に記憶に残っているのは3年前に亡くなった衣笠祥雄の追悼ラジオ番組に出演された時の事。
同じくゲスト出演した安仁屋宗八氏と共にあまりに早く逝った鉄人にショックを隠せないようでしたが、番組の最後に安仁屋氏に「安仁屋ちゃん、お互いに元気でいようね」と優しく語り掛けたのが印象的でした。
というより上記の通り、過去の映像以外では退団した後の優しい風貌しか知らず、高橋義彦や長嶋清幸のような悪童たちを震えあがらせるぐらいの指導者だったのが未だに信じられないぐらいです。
逆にいえば、それだけ野球に対して誰よりも真摯であったという事の現れだったのかもしれません。
「耐えて勝つ」を合言葉に多くのタイトルと数えきれないぐらいのドラマをファンに提供し続けたくれた古葉竹識氏。
改めてその冥福をお祈り申し上げると共に、私のように祖父母以前の代から広島で生まれ育った者にとっては「カープの歴史は家族が歩んだ戦後の歴史そのもの」ですが、その歴史をもっとも輝かせてくれた事に感謝したいと思います。
それにしても…。
津田恒美氏、三村氏に加えて近年では衣笠氏、高橋里志氏、シェーンことリッチー・シェインブラム氏、エイドリアン・ギャレット氏と「向こう側のチーム」の選手層が厚くなっているのはやむを得ないとはいえ本当に悲しい事です。
しかし、私たちファンにそれに対してできる事は彼らが私たちに与えてくれたものを忘れる事無く、彼らが愛したチームを盛り立てる事。
今回の名将の訃報を受けて、ファンの端くれとして私もそれをこれからも大切にしていきたいと改めて誓う次第です。