今季シーズン終了直後の10月4日に戦力外通告を受けていた今村猛が12月22日に現役引退を発表しました。
トライアウトを受けていなかった事から他球団での現役続行が内定していたかと思っていただけに大変な残念なニュースでした。
今村と言えば高校生の時は選抜大会で故郷に初めて優勝旗を持ち帰りカープ入団後はセットアッパーとして25年ぶりの優勝に大きく貢献した事で、広島・長崎という歴史的に因縁のある県をプロアマ両方の年代でファンを熱狂させてくれた右腕。
実働10シーズンで実に500試合以上も登板している彼ですから個人的にも球場で見た記憶は無数に存在しますが…思い出すのはそんな彼がプロ一年目でいきなり訪れたプロ初先発の試合。
初回にジャスティン・ヒューバーの幼稚なエラーもあり、迎えた満塁のピンチでいきなり本塁打を浴びるなど散々な結果でノックアウトされ試合も大差で敗れました。
ちょうど親戚を招待した試合でもあったのですが、仕事の都合で試合途中から駆け付けた親戚の子がスコアボードを見て呆然としていたのは今でも覚えています。
次に思い浮かぶのは、その後若くしてクローザーとして活躍した2012年8月30日に神宮球場で登板した際に9回裏先頭打者の松井淳にあっさり本塁打を浴びて同点に追いつかれた場面。
隣に座っていた初老の背広姿のファンが持っていたカップ酒を取り落としそうになりながら私に「今のファールよね?」と聞いてきたので「いえ…入っています…。」と絞り出すように答えたのは懐かしいです。
これだけ書くと随分と嫌な事しか覚えていない酷いファンかと思えますが…。
どうしてこんな場面が真っ先に思い浮かべたかと言えば彼のキャリアにおいては「抑えて当然」と期待される場面での登板が大半でしたから抑えた事よりも打たれた記憶の方が残ってしまうからかと思います。
これは他のリリーバー中心でキャリアを過ごした投手にも言えるのですが、彼に関してはそれに加えて高卒入団当初からチームの低迷とベンチの混乱により特に過大に期待される事が多かったせいもあるかもしれません。
実際、彼の通算成績のうちプロ入り2年目~4年目の登板試合とイニング数を見ると高卒の投手のそれとは思えない異常な数字が並んでいます。
あまりの酷さに当時の監督と投手コーチであった野村謙二郎と大野豊に不和が生じた事は当時からのファンで知らないものはいないでしょう。
当時、高校野球ファンだった当時の職場の上司が私がカープファンと知ると「何故、今村はあのような事に…」と沈痛な面持ちで聞いてきたのは今でも印象に残っています。
ついでに言えば、この時期はやはり当時の監督である野村謙二郎のルールの認識不足によりリーグ史上初(というか唯一)の投手ながら指名打者での先発出場を果たす羽目にもなりましたし…。
上記もあって、2013年に16年ぶりのチームAクラス入りに貢献した後の2014年以降では登板数が激減。
あれだけの若くして無茶な登板を重ねた故に今村の復活は難しいように思えましたが…2016年シーズンで見事に復活したばかりでなく25年ぶりの優勝に大きく貢献すると2017年シーズンは不振の中崎翔太に代わってクローザーを務めるなど八面六臂の活躍を見せてくれたのは記憶に新しい事。
その後の再びの低迷からのあまりに早すぎる引退は実働10年で500イニング以上登板という事実と並んで「太く短く燃え尽きた」などという綺麗ごとで済まされる事ではなく、カープ球団や彼の入団当初の指導者達にとっては恥でしかないと思えます。
しかし、そんなチームの「不都合な真実」を全て自身のマウンドに閉じ込めるかのようにポーカーフェイスで黙々と投げ続けて多くの歓喜を与えてくれたのもまた今村です。
長崎県の高校野球ファンに歓喜をもたらした彼が広島に一度ならず二度までも運んできた爽やかな「西海の風」は低迷していた球団とそのファンに素晴らしい光景を運び入れてくれたものだったかと思えます。
若くして現役引退となったのは本当に残念ですが、その功績は決してその他の球団のレジェンド達から引けを取るものではないでしょう。