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カープと趣味の日記

栄光と苦難の30年に(エディオンスタジアム広島 最終戦によせて)

今季限りで広島市内中心部のエディオンピースウィング広島への移転が決まっているサンフレッチェ広島が昨日、エディオンスタジアムでの最後の公式戦開催を行いました。

対戦相手は期せずしてサンフレッチェと同じくJリーグ初年度から在籍する「オリジナル10」の1チームであるガンバ大阪

また、これまた偶然にも現状では最後に開催されている2015年Jリーグチャンピオンシップの対戦カードでもありました。

試合は、前半早々に満田誠のゴールで先制すると、以降も圧倒的なポゼッションで最後まで試合の流れを明け渡さず、中野就斗のJ1でのプロ初ゴール含めて3-0の快勝。

試合終盤には今季限りでの現役引退を決めていた名GKである林卓人を始め、柴崎晃誠柏好文といったこのスタジアムで長らく活躍し続けたベテラン達をピッチに送り込む事すら出来ました。

試合終了後の林による感動的なスピーチを含めた引退セレモニーもあり、見込まれていた3万人には僅かに届きませんでしたが2万9000人越えを動員してまさに有終の美を飾れたと言えるでしょう。

このエディオンスタジアム…ここでは昔から個人的には馴染み深いネーミングライツ導入前の「広島ビッグーアーチ」と呼びましょう…の思い出を振り返ると正直な話、かつての旧広島市民球場ほどの濃密なものはサンフレッチェ広島のサポーターの片隅にいる立場として恥ずかしながらさほど多くありません。

というより、1994年のアジア大会の際に招待で足を運んだ小学生の時以来、このビッグアーチにはあまり良い思い出というのがほとんど浮かばないというのが実情です。

以降、成人するまで片手で数えるほどしか足を運んでいないのですが、とにかく覚えている事は観客が少ない事と、山奥で行きも帰りも大変であった事ぐらいの事…ついでに言えば私が行く試合で勝ち試合は全くなかった事ぐらいでしょうか?

未成年の時に最後に見たのは中学生の時でしたが、この時のチームは存続が危ぶまれるほど極端な財政難でチームが低迷していたせいか、ガラガラのスタンドで試合後に翻る「ビッグオーレ」にかえってもの悲しさを感じたのを覚えています。

まあ、あの当時は同じ広島に本拠地を置くカープ旧広島市民球場末期で年間動員が12球団でブービーという今では考えられないほどの不入りが続いていて、これまた球団存続の危機に晒されていた時期ではあるのでしたが…。

 

もっとも、私の個人的な思い出を持ち出さずともこの広島ビッグアーチサンフレッチェ広島の30年を振り返ると「苦難の歴史」という言葉が大部分を占めていたように思えます。

1990年代に建築されたスタジアムではあるものの当初から広島市の見込みの甘さから来る利便性の悪さによる動員の伸び悩みと財政難による設備の陳腐化は目を覆うばかりで、はっきり言わせて貰えれば「バブル期に調子に乗った地方都市が作った負の遺産の典型例」というイメージが大きかったです。

その最たる例が2002年の日韓ワールドカップの際は開場から10年程度かつ中四国最大級の動員が可能なスタジアムであったにも関わらず規定を満たせず、それを広島市が拒否した為、開催地から外されたという出来事。

あの時、テレビカメラの前で落選を伝える電話に対して当時の広島市長だった平岡敬が逆切れ気味で受け応えした無様な姿は広島市の歴史に残る恥として今でも心に残っています。

今季は最終年という事で春と夏に2度ほど広島ビッグアーチには観戦に訪れましたが、2万人に満たない試合であるにも関わらず、駐車場はなかなか予約が取れずいずれもキャンセル待ちで辛うじて確保出来ただけでなく場所も遠く帰りはかなり大変でした。

昨日の試合に関しても多くのサポーターが訪れはしてくれましたが、果たして私の生まれ故郷である広島市安芸区に住んでいる人があの場所から試合終了後に公共交通機関を使って帰宅したとしたら一体何時にたどり着けたのだろうかと返って心配になってしまったほどです。

こういう事情もあって移転前最終戦としてのセレモニーに関しても別れを惜しむというより来季以降の新たなスタジアムを心待ちにするという気持ちの方が選手もサポーターの大半も多数を占めていたのではないかと思います。

 

さて。

ここまで移転するスタジアムに対して後ろ足で砂をかけるような事をうっかり書いてしまいましたが…勿論このビッグアーチにも「栄光の歴史」はあります。

特に2012年のサンフレッチェ広島のJ1初優勝を決めた試合は関東からテレビで見ていましたが、常に閑散としているイメージがあったビッグアーチがほぼ満席になった姿には長らく低迷が続いたサンフレッチェ広島の初タイトル獲得と共に感激した事を覚えています。

また、上記の通り、ワールドカップ開催については残念な結果となりましたが、日本代表が初優勝した1992年のアジアカップ開催や、首都以外では初開催となる1994年の広島アジア大会開催は間違いなく歴史に残る快挙として地域の誇りとして語り継ぐべきものです。

個人的には長らくホーム現地観戦で勝てない状態が続いていた事についても今年夏の川崎フロンターレ戦でマルコス・ジュニオールの素晴らしいゴラッソと後半ATラストワンプレーでのチャンスを決めた満田誠の勝ち越しゴールなどで勝利を得る事が出来た喜びは忘れがたい思い出です。

何よりセレモニー最後に歌われた「イージュー☆ライダー」と林卓人のチャントがリフレインで響き渡る姿は感動的で私も画面越しに口ずさみながら涙が溢れるのを止められませんでした。

この美しい歌声が来年開場するエディオンピースウィング広島で引き続き響き渡る事を心待ちにしたいと思います。

また、サンフレッチェ広島は移転するものの引き続き広島ビッグアーチ中四国で最大級のスタジアムである事に変わりはありません。

これから先の見込みがどうなるかは分かりませんが引き続き地域のスポーツ振興の拠点の一つとして機能し続けてくれる事を期待したいものです。