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カープと趣味の日記

05/14(火)○「華開く左腕」(カープ2024)

東京ヤクルトスワローズ1-2広島東洋カープ

5回戦(4勝1敗)

松山坊ちゃんスタジアム

 

勝利投手 床田4勝2敗

敗戦投手 小澤4敗

セーブ投手 栗林1敗10セーブ

 

本塁打

(C)-

(S)武岡2号①

 

打点

(C)小園②

(S)武岡①

 

投手

※数字は自責点

(C)床田①-島内-栗林

(S)小澤②-長谷川-大西-丸山翔

 

先発床田は中盤以降に制球が乱れるも7回1失点の好投。

打線は小園が2打点の活躍も10安打で2得点の拙攻。

終盤も島内、栗林が僅差のリードを守り抜いてカード初戦を制する。

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球団史を紐解くと「投手王国」と呼ばれたわりにはさほど左腕が育たず歴史的に「左腕不毛の地」とも呼べる広島カープ

その歴史の中で数少ない輝きを見せた左腕の一人にして、80年代に見せたリリーフとしての活躍から球団史における左のワンポイントリリーフの代名詞とも呼べた清川栄治氏の訃報が昨日報じられました。

私にとってはカープの…というかプロ野球の投手として「左のワンポイントリリーフ」といえば今でも一番に思い浮かぶのは清川。

それぐらいにカープを見始めた幼いころの私に強烈な印象を残した投手でした。

ドラフト外で入団した当時は球史に残る投手王国として分厚い戦力を誇っていたカープにあって、左のリリーフとして活路を見出し、中継ぎ投手に関する記録や表彰が皆無に近かった当時にあって記録に出ない貢献とそれをアピールし続けた姿は投手の分業制が成った現代プロ野球全体で見ても貴重な存在と言えたでしょう。

また、近鉄バファローズへの移籍を経て現役引退後は古巣の投手コーチとして投手王国が崩壊して久しかったカープの立て直しにも尽力。

個人的に印象に残るのはもはや焼野原とも言えた山本浩二政権終焉後の2006年シーズン。

マーティー・ブラウン監督の下で小林幹英らと共に今に繋がる投手陣再建に努めていた時に試合前の旧市民球場での姿を昨日の事のように思い出します。

62歳で西武ライオンズの育成アドバイザーの現職のままでの逝去。

まだまだ、指導者として多くの名投手を世に送り出せた年齢であろう事を考えると大変残念でなりません。

 

今日の松山での開催となったスワローズ戦ではこの「不毛の地」であったカープで清川氏とは別の形で大きく華開いた左腕・床田寛樹が躍動しました。

ここまで打線の援護の無さもものともしない攻守で強烈な活躍を見せてくれていた床田ですが今日も7回1失点と素晴らしい活躍を見せてくれました。

もっとも、中盤以降は制球が乱れて3与四球とやや安定感が欠いた中での降板。

とにかく得点が入らない状況において最少失点で長いイニングを投げ続ける事で心身の消耗が進んでいるように見えるのは気がかりです。

そもそも、この松山でのカードが2連戦で木曜日が休みとあって8回から潤沢にリリーフ陣を投入できる状況で事なきをえましたが、これが6連戦初戦であれば恐らくベンチは8回も構わず続投させて試合はひっくり返されていた事は想像に難くありません。

いい加減、彼がそれなりの投球でも悠々勝ち星を納められるシチュエーションを早く打線が作る事が望ましいのですが…今日の打線を見る限りですとそれも無理なのは分かり切った事でしょう。

日曜日に二軍落ちとなった堂林翔太に代わって一軍登録となった林晃汰を早速スタメン起用はしましたが、何のことはなく多少打線の平均年齢が下がっただけで中身は空っぽのまま何も変わっていませんでした。

6回裏に2点目を挙げた直後に無死満塁の好機を作りながら無失点など10安打を重ねながら2得点と相変わらず冗談のような打線。

正直、試合終了後に今日の勝利の歓喜の輪に入る資格がある野手は片手の手で数えられた程度でしょう。

とにかく今日も「床田が先発でないと勝てない試合だった」という事実だけが残ったように思えます。