1回戦(カープ1勝)
勝利投手 床田6勝1敗
敗戦投手 隅田2勝6敗
(C)末包1号①堂林3号①
(L)-
打点
(C)末包①堂林①
(L)-
投手
※数字は自責点
(C)床田
(L)隅田②-ティノコ-ボー・タカハシ-佐々木
先発床田は被安打5も要所を凌いで9回を無失点で投げ抜く。
打線は5回裏に末包、堂林の2者連続本塁打で先制も以降は繋がらず。
床田が9回115球の熱投で今季初の完封を飾りカード初戦を制す。
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全国のカープファンは勿論プロ野球ファン全体が深い悲しみを覚えた事でしょう。
そして、今日のマツダスタジアムに急遽掲げられた半旗を見て訝しんだ現地のファンもその理由を知って大きな衝撃を受けた事でしょう。
カープ黄金期のエースであり球団史上最多の213勝を挙げ、リーグMVP1回、沢村賞2回を始め多くのタイトルを獲得した末に2012年にはプロ野球殿堂入りも果たした大投手・北別府学氏の逝去が報じられました。
2020年に成人T細胞白血病を公表して以降は懸命な治療に努めていましたが65歳という若さでの別れは本当に残念ですし深い悲しみを覚えます。
宮崎県の農業高校出身の全くの無名投手がドラフト1位で指名されたのはカープが悲願のリーグ初優勝を決めた1975年の事。
3年目で早くも二桁勝利を挙げると以降はチームの中心投手として黄金期を演出する活躍を見せた姿は実際に球場で慣れ親しんだ往年のファンは勿論、若いファンでも知らない人は早々いないでしょう。
個人的な記憶で言えば私が物心ついてカープの試合を見始めた時期は既にベテランの域に差し掛かり往時のような圧倒的な投球とまでは言えませんでしたが、彼にとって最後のリーグ優勝となった1991年で若きエースとなった佐々岡真司や川口和久と共に先発陣の中核として見せた輝きは今でも覚えています。
のみならず彼の活躍した80年代後半はファミスタを始め野球のテレビゲームの黎明期。
実際に野球を見なかった子供でもゲームの中で見せる全選手中で一番のコントロールと「きたべっぷ」という特徴的な名前を憶えている人は少なくない筈です。
そんな様々な人々の記憶にもプロ野球の記録にも残り引退後も「コントロールに優れた投手」の代名詞となった偉大なる「精密機械」の思い出…改めて大切にしたいと思います。
そんな訃報を受けて試合に臨んだカープの対戦相手は偶然にも北別府氏が最後に日本シリーズで対戦した西武ライオンズ。
先発の床田寛樹は少ない援護点の中で本当に素晴らしい投球を見せてくれて今季初の完封勝利で見事に通算135回の完投を記録した大投手に勝利を捧げる事が出来たのは何よりの事。
もう今日はその事実だけで胸がいっぱいになります。